こんにちは、そんあじです。今回は近現代をテーマにした韓国映画をご紹介します。
初めにことわっておきますが、韓国の近現代史は悲しく暗い部分が多くあり、それらを題材としています。
そのため今回ご紹介する映画はどれも、スカッとした!ずっと笑顔で観られたな!というものはなく、考えされられたり、重い感情が残るものです。
それでもついこの前の時代にこのような出来事があり、さらに韓国の今の発展を見ると感慨深いものがあります。
『国際市場で逢いましょう』
「国際市場で逢いましょう」原題:국제시장
学べる歴史:朝鮮戦争後の韓国の様子、離散家族
日本では、朝鮮戦争は「朝鮮特需」(軍関連物資の需要が増えた)をもたらし、第二次世界大戦後で疲弊した日本の景気を上げるきっかけになったものとして知られています。
しかし実際朝鮮の地で何が起こっていたかというと…朝鮮戦争で戦地で戦う人を題材にしたものは、別の映画『ブラザーフッド』をご覧ください。
第二次世界大戦後、38度線で二分されることとなり、これで過ごしていたのですが、1950年6/25夜明けに突然北朝鮮側が38度線を越えて南下してきます。(実話)
突然自分の住んでいる街が戦場となり、北朝鮮側と韓国側の同じ韓民族同士での戦争が始まります。
突然のことで韓国民たちは、とにかく南の方へと逃げるしかありません。南に逃れようと船へは人が殺到します。その過程で主人公は妹とはぐれてしまいます。
なんとか主人公は朝鮮戦争を生き延びます。しかし朝鮮戦争を終えた韓国は荒廃し、経済的にも貧しい国となります。そのため当時の韓国は外貨を稼ぐために、多くの韓国人をドイツに送ることを推進していました。男性は炭鉱、そして女性は看護師として異国で働きます。(実話)主人公もドイツで稼ごうと決め、炭鉱で厳しい暮らしを送ります。
韓国に戻ってきた主人公ははぐれた妹との再会を目指して、TV番組「離散家族を探しています」に出演し、妹を探そうとします。離散家族(朝鮮戦争を機にはぐれた家族)を探す番組は1983年に韓国で実際に放送され、家族を探す家族たちが出演しました。(実話)
当時はTVの放送局前には「○○を探しています」と書いた張り紙や、紙をぶら下げて家族を待ち続ける人たちが集まり、その数は想像を超える数で、朝鮮戦争の重みをよく表しています。
これが放送された1983年というと日本では東京ディズニーランドが開園した年であり、そう古い時代ではありません。貼り紙の数からも、そんな時代にも朝鮮戦争の爪痕に苦しむ家族たちがいたことが分かります。
現実ではこの番組を機に実際に再会できた家族はいましたが、多くはありません。
この国際市場の映画内では、主人公はアメリカに渡った妹を見つけることが出来ました。
しかし現実であれば妹はアメリカ人として育ち、生活習慣も生活基盤もアメリカ、英語しか話せないので「さぁ再会できたんだから韓国に戻っておいで!」と単純に話を進めることは難しく、何事もなかったように一緒に住むことはおそらく現実的には難しいはず。
朝鮮戦争について改めて考えるきっかけになる映画です。
『タクシー運転手 約束は海を越えて』
タクシー運転手 約束は海を越えて 原題:택시운전사
学べる歴史:光州事件
主人公のタクシー運転手、そして外国人記者は実在していた人たちをモデルにしています。
1980年、とにかく金が欲しいと困っていた主人公のタクシー運転手は、「韓国の光州まで行けばかなりの報酬が貰える」と聞きつけ、すぐに飛びつきます。
外国人記者の客を乗せ、光州に着いた頃にはここでは異常事態が起こっていることに気が付きますが、もう遅い…
当時光州では当時の軍事政権に反対し民主化を求める市民たちと、彼らを暴徒とみなす韓国政府側が武力衝突していました。(実話)
光州への出入りは韓国政府側の戒厳軍たちにより検問・制限されており、このようなことが起こっているとは、光州以外の韓国人たちは知りもしないことでした。(実話)
外国人記者は韓国、そして外国にこのことを知らせようと撮影し、これを何とかソウルに持ち帰ろうとします。
陸の孤島となっている光州では多くの市民たちが、市街で政府による軍によって殺されていきます。中国の天安門事件とも似ています。
主な現場となった光州市役所前の広場近くのビル10階の柱にはこれほどの弾痕が残っています。10階にかなりの弾痕があることから、広場にいる市民たちに向かって政府側が上空から多数発砲したことが分かります。
命の保証がないことを分かっていながら市街に出ていく市民たちと、死体となって帰ってきた家族を体育館で探す残された家族たち。
主人公は何とか生き残り、現状を知らせるために、外国人記者のカメラを持ってソウルへと帰ります。
なんとか光州を脱出し、彼らの持って帰った情報により、韓国のその他地域の人も多く光州での事件を知ることになるのでした。
タクシー運転手は実在の人物ですが、誰なのか分かっていません。その後、彼を探そうとしたのですが外国人記者が教えてもらった連絡先と名前は偽物。政府側に個人情報がバレることを恐れてでしょう。
光州事件が起きたのは1980年。そして事件を指示したとされる当時の大統領、全斗煥が死去したのは2021年。最近の出来事であることが分かります。
現代の韓国でも光州がある全羅道地方などと、ソウルなどでは選挙結果が真反対であることなども考えさせられます。
『1987、ある闘いの真実』
『1987、ある闘いの真実』原題:1987
学べる歴史:民主化運動
先ほどご紹介したタクシー運転手と同じ時代の話です。
当時警察は北朝鮮スパイの疑いがある者などを連れてきて、南営洞で取り調べを行っていました。
1987年、南営洞で取り調べを受けていたソウル大生の青年が取り調べ中に亡くなります。(実話)
実は警察による拷問死であったのですが、これを警察による拷問死であることを明らかにしようとする検事と、隠ぺいしようとする警察などの国家権力との闘いがこの映画では描かれます。
結局この拷問死は国民に知られることとなり、より一層民主化への運動が盛んになりました。(実話)
ちなみに実際に取り調べが行われていた当時の南営洞は現在記念館となっており、見学することが出来ます。拷問死の部屋と同じ間取り?の部屋も公開されており、亡くなったソウル大生が顔を沈められた小さな浴槽のようなものを見ることが出来ました。
ソウル大生の死をきっかけに、さらに多くの学生がより活発にデモを行うようになった中、6月に延世大で行われたデモに参加した延世大の学生の青年がデモの鎮圧のために警察が放った催涙弾を頭部に受けて、結局亡くなります。(実話)これがさらに市民たちの怒りに火をつけ、民主化運動を求める声が高まりました。ここまでが描かれた映画です。
この1987年は日本はちょうどバブルで沸き立っている頃。
韓国の当時のデモに参加した人たちはまだ現役世代。なぜ韓国は投票率が高いのか、政治に熱いのか、デモが頻繁に行われているのか、を知ることができる映画です。
『JSA』
『JSA』原題:공동경비구역 JSA
学べる歴史:南北分断
北朝鮮と韓国が共同で警備する区域(JSA)で、ひょんなことから北朝鮮軍人と韓国軍人が話をするようになり、夜な夜な隠れて密会し、一緒にゲームをしたり、話したりして交流を深める。敵同士、交流していることが絶対に明らかになってはいけない。そう分かっていながらも交流を続けていたが、ひょんなことから韓国軍人が北朝鮮軍人を射殺してしまう。
現在は両国の軍人が言葉を交わすというのは絶対に有り得ない話ですが、映画ほど親密に集まることは無理でしょうが、昔は少し言葉を交わしたりアイコンタクトすることはあり得たのかもしれません。
互いの友情は、国の運命によって友情として成り立つことが出来ないという悲哀がこもり、南北分断に思いを馳せる映画です。
北朝鮮側の生活についても、最近は脱北者のバラエティー番組やYoutubeでさらに広く知られるようになってきました。
おわりに
現在は発展してキラキラしているように見える韓国。それでも第二次世界大戦後も考えられない歴史を送ってきた韓国。ぜひまずは映画を観て、韓国歴史を知ってみるのも良いですね。
以上、そんあじでした。
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